かわえ〜

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取材日/取材番号 1999/07/30 No.019

 

イトウスポーツ(シンミセ)


一日市仲町商店街
- 精米所 -

  大正時代、父親の伊藤善之助さんの兄にあたる、伊藤義吉さんが、大久保からここに来て、果物や乾麺などの乾物を扱う店を始めたそうです。

 その頃は新しく店を出したので新店(シンミセ)の家と呼ばれていたそうです。

 善之助さんは兄の下で下働きをしていたそうです。店の裏に麺を干す乾燥場があり、そこで旅芸人が時々芸を披露することがあったそうです。

 義吉さんは米商人として現在の安田新聞店にも米倉庫を持つほど繁盛したこともありましたが、大正10年頃、あずき相場などに手を広げすぎて失敗し、店を手放す事になったそうです。

 人手に渡りそうになった家を弟の善之助さんが富田氏から買い戻し、伊藤精米店として店を建て直したそうです。

- 一日市劇場 -

 昭和3年に店を新築し、一日市劇場として再出発しました。当時は常設の劇場ではなく、金浦町の高橋久男さんが映写機とフイルムを持ってきて上映していたようです。

 昭和20年に一日市大火で映画館が全焼してしまいました。昭和21年に、解体した学校の廃材をゆずり受け、一日市劇場を再建したそうです。

 昭和32年頃改装し、階段状の観客席ができ、モダンな映画館となりました。常設の映画館として始めたのは昭和35年頃からだそうです。

 昭和37年頃から商店街に面した所でスポーツ品と玩具の店始めています。わたしも小さい時、ここに買い物にきた記憶があります。

 その後、テレビの普及で観客が減り、昭和48年に閉館したそうです。本格的にスポーツ店として始めたのは昭和49年からだそうです。

- 朝市 -
 現在市日を復活しようと言うことで毎月1のつく日に市日を開催していますが、本来は毎日市が立っていたとのこと。善雄さんは毎日市が立つので一日市という名になったと言っておりました。
 毎朝4時過ぎになると表の通りが騒がしくなったそうです。近隣の町村から行商の人がやってきて、店を広げ市の準備をしていたそうです。
 八郎潟の干拓工事が始まり、車の交通量が増えて、道路に市を開いていると交通の邪魔になってきのと、道路の使用が規制されてきたのとが重なり市が消えてしまったようです。

 5月5日の一日市神社のお祭りや盆踊りの時に屋台が建つのは火災で一日市が燃えた昭和20年以降。昭和30年代でなかったかなと言っておりました。
お話、お写真  伊藤善雄さん



 取材内容については作成後、本人に確認しておりますが、本人の記憶に基づいて記載しておりますので間違っている場合があります。その点をご容赦下さい。尚、本人からの要望が届き次第、訂正もしくは削除していきます。
取材責任 ∞メビウス広報部 児玉