かわえ〜

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 取材日/取材番号 1999/08/01 No.023

   

 湖畔時報社


一日市 駅前商店街


湖畔時報は昭和26年2月3日に創刊しました。

山本町金岡の畠山林二郎(後に結婚し石井姓)さんが、毎日のように列車で一日市まで通ってきて、新聞社を始めるように日本画家で文筆家の館岡栗山(りつざん)さんに勧め、ついに意気投合したことが創刊のきっかけだったそうです。

林二郎さんは、もと能代市の業界紙の記者だったそうで、創刊時代から自転車で取材し、頑張った人のようです。新聞ではペンネーム畠山林太郎で出ています。

 「鮒のねごと」の記事だけは栗山さんが書いていたそうです。栗山夫妻は新聞の経営管理に主に携わっていたようです。

 田崎医院(現在、児玉医院敷地)の先生は麻雀好きで、ちょくちょく館岡家にやってきて、「この新聞は3号で潰れる」と言っていたそうですが、いつの間にか48年間休むことなく発行され地元になくてはならない新聞となりました。

 創刊時代は収入がほとんどなかったため、地元の方々のご厚意と安田新聞や各町の販売店の協力があって続けられることができたと話しておりました。
 販売部数を増やすために、湖畔美人コンテストや庭園巡りの新聞投票、各町村野球大会などの企画ものを主催したこともあるそうです。

 新聞の発展には、創刊から働いていた林二郎さんを初め、五城目町の錦織徳夫さん、夜叉袋の佐藤逸水さんなど文才のある方が活躍して今日の湖畔時報の基礎を形作ったようです。

 栗山さんが亡くなってからは奥様の館岡欣代さんが社主として引継ぎし、新聞の存続にご努力しています。

 現在の社主、誠二さんが引き継いだのは平成元年から。現在は誠二さんの他に奥様の暁子さん、息子さんの晴希さんとご親戚の記者が一人という布陣です。
 地域との繋がりを大切にいつまでも読み継がれる新聞を目指して頑張っています。
お話・お写真 館岡誠二さん

 
 取材内容については作成後、本人に確認しておりますが、本人の記憶に基づいて記載しておりますので間違っている場合があります。その点をご容赦下さい。尚、本人からの要望が届き次第、訂正もしくは削除していきます。
取材責任 ∞メビウス広報部 児玉