つよい男 かしこい男(三湖伝説)

再話・加藤秀 仙北郡太田町出身、日本児童文学者会員


 八郎潟(はちろうがた)の八郎 
〈伝説・十和田湖
(とわだこ)八郎潟(はちろうがた)田沢湖(たざわこ)
むかし、大湯(おおゆ)の草木(=くさぎ、いまの鹿角市十和田字大湯)に八郎という者がすんでいた。

八郎は雲つくような大男で、だれひとりかなう者ないほどの力もちであった。けれども気だてがやさしく、まい日、山や谷をかけまわって、鳥やけものをとったり、たきぎをとったりして、父や母をやしなっていた。


ある日、八郎はふたりのなかまといっしょに山をいくつもこえて、奥入瀬
(おいらせ)の渓谷へはいった。
渓谷には谷川がきよらかにながれている。三人はながれのちかくに小屋をつくり、そこにとまって、山しごとをすることにした。  

その日は八郎が食事のしたくをすることになり、あとのふたりは、山へでかけていった、八郎が川へ水をくみにいくと、数ひきのイワナがおよいでいる。
八郎は木のえだでヤスをつくり、三びきのイワナをついた。さっそく小屋へかえってくしにさし、ジエージューあぶった。イワナはこんがりやけて、とてもよいにおいをただよわせる。
「これはうまそうだ。みんなはやくかえってこないかな。」
けれども、ふたりはなかなかかえってこない。八郎はがまんできなくなって、じぶんのぶんを一ぴき食べた。あぶらがのっていて、とろけるようだ。あまりのうまさに八郎は、とうとう三びきの こらず食べてしまった。

すると、どうしたのか、きゆうにのどがかわいてきた。谷川からくんできた手おけの水をがぶがぶのんだ。のむほどかわきはひどくなる。

「ああ、のどがやけつくようだ。」
 
八郎はうめき声をあげながら、谷川のそばへかけていった。そしてはらばいになって身をのりだし、ながれにロをつけて、むちゅうになってのんだ。


なん時間、のみつづけただろうか。ようやくのどのかわきがとれたので、顔をあげると、あたりは夕ぐれの色につつまれている。立ちあがろうとしたとき、水の上になにかのかげがゆれているのに気づいた。よく見ると、それは、目がらんらんとかがやいて、ロが耳までさけた竜の顔ではないか。八郎はおもわず、
「あっ。」 と、さけんだ。その顔こそ、水かがみにうつったじぶんの顔だったのだ。八郎はいつのまにか、竜になったのである。

そこへふたりのなかまが、八郎の名まえをよびながらさがしにきた。八郎が声のするほうをむくと、ふたりはびっくりぎょうてんしてにげだそうとした。
「ちょっとまってくれ。」 八郎はかなしげな声で、ふたりをよびとめた。 「おれは、こんなおそろしいすがたになってしまった。もう、いっときも水からはなれることができないんだ。だから、このへんに湖をつくって、そこでくらそうとおもう。どうか家へかえったら、おとうやおかあたちに、そのように話してくれ。」 いいおわると八郎は、大きな声でないた。なき声はまわりの山やまにひびきわたり、なん十里もとおくまできこえたという。

八郎はふたりのなかまとわかれると、なおも水をのみつづけ、三十三日めに、からだが三十余丈
(百メートル以上)もあるりっぱな竜になった。
竜になった八郎は、山やまの谷川をぜんぶせきとめた。まんまんと水をたたえた大きな湖ができあがった。この湖が十和田湖(とわだこ)だといわれている。八郎はながいからだをくねらせながら、ずぶずぶと青い水の中にもぐつて湖のそこへしずんでいった。こうして八郎は十和田湖の主になったのである。

そのころ南部(いまの青森県の一部と岩手県の一部)の三戸(さんのへ)に南祖坊(なんそうぼう)という修行僧がいた。南祖坊はえらい坊さんになるために全国の霊場(れいじょう)やお寺をまわって、からだをきたえ、心をみがいた。こうして七十六歳まで修行して、さいごに紀州(きしゅう)熊野山(くまのさん)へのぼった。

熊野権現
(くまのごんげん)に二十一日間のおこもりで、あすは満願(まんがん)という日、ゆめの中にひとりの坊さんがあらわれ、
「南祖坊よ。おまえはよく六十年間の苦行にたえた。ここに一足のわらじをあたえる。このわらじのひもがきれたところを、おまえの永住の地とせよ。」 といってすがたをけした。目をさますと、まくらもとに鉄のわらじがおかれてある。南祖坊は、(これこそ、ほとけさまのおつげにちがいない。)とおもい、夜があけると、さっそく鉄のわらじをはいて旅にでかけた。

南祖坊は諸国の霊場をめぐつて、北へ北へと旅をつづけているうちに、大きな湖のほとりにでた。その岸べをたどつていくと、わらじのひもがぶっつりきれた。 「おっ、わらじのひもがきれたぞ。すると、ここがわしのすみかなんだ。なんとすばらしいすみかだろう。」 南祖坊がそういって、お経をとなえながら湖にはいろうとすると、いままでしずかだった湖面が、にわかに波立ちはじめた。そして、波のあいだから大きな竜がおどりでて、大きな声でどなった。 「おまえはいったいなに者だ。おれは八郎といって、ここの湖の主だぞ。ひとのすみかへかってに入ってはいかん。」 しかし南祖坊はびくともせず、 「なにをいうか八郎。わしは熊野権現のおつげで、この湖をすみかとする者だ。おまえこそ、湖からはやくでていけ。」 そういってお経をとなえ、その巻きものをハッシと八郎めがけてなげつけた。すると巻きものはたちまち九ひきの竜となって八郎におそいかかった。

八郎もからだのうろこをつぎつぎにはぎとって、南祖坊へなげつける。すると、うろこはみな小さな竜になって、南祖坊へかみついた。
いままではれわたっていた空に、もくもくと黒い裏がわきだし、雷鳴がとどろいて、ものすごいあらしとなった、八郎が雲をよんだのである。 こうして八郎と南祖坊は七日七晩たたかったが、なかなかしょうぶがつかない。さいごに南祖坊が、いちだんと声をはりあげてお経をとなえると、お経の文字がひとつひとつするどい剣となって、八郎のからだにつきささった。 八郎のからだから血がふきだし、湖につきだしたがけの岩をまっかにそめた。そのあとが御倉半島(おぐらはんとう)の千丈幕(せんじょうばく=十和田湖の東岸から湖につきでている半島の崖で、岩が赤い)だといわれる。

八郎はとうとう南祖坊の法力によって十和田湖をおわれた。たたかいにやぶれた八郎は、米代川をくだって比内
(ひない)地方を湖にしてすもうとかんがえた。そして、いまの北秋田郡と山本(やまもと)郡のさかいにある鼠袋(ねずみぶくろ)というところをふさいで、米代(よねしろ)川をせきとめ、ほそながい湖をつくった。こうしてようやく湖ができたが、八郎のすみかとしてはせまいはかりでなく、水があさくて、からだをぜんぶしずめることができない。
ちかくにすむ八座(はちくら)の神たちは、なんとかして八郎をおいだしたいとおもっていたから、ここぞとばかりに、 「ここは、あなたがすむにはせますぎます。この川をどんどんくだると、男鹿半島とのあいだにひろい土地があります。そこに大きな湖をつくられたらどうでしょうか。」と、もちかけた。八郎もそうしようかとかんがえたが、なにぶんにも湖がせまくて、身うごきもできない。  すると神さまたちは、八座のうちの一座をながして洪水をおこさせ、八郎を米代川の河口ちかくまではこんでくれた。二ツ井(ふたつい)町七座(しちくら)は、八座のうち一座がながされたので、できた地名だという。  

さて、八郎が見わたすと、南のほうにたしかに、ひろびろとした土地がひろがっている。海からはげしい潮風がふいて、草もろくにはえない、あれはてた土地だった。
「よし、ここにすみかをつくろう。」 八郎はさっそく海岸に土手をきずいた。すると、これまで海へながれていた川の水がたまって大きな湖ができた。十和田湖よりもさらにひいろ湖である。  八郎はその湖にからだをよこたえた。ふかさもじゅうぶんにあって、ゆっくりくつろげる。

「ああ、やっとじぶんのすみかができた。」  八郎は十和田湖をおわれていらい、ひさしぶりにのんびりとからだをやすめた。こうしてできた湖は、八郎潟(はちろうがた)とよばれるようになった。八郎は、いままでのつかれがとれると、みぞをほって湖と海をつないだ。すると、さかながどっと湖にはいってきた。さかなはつめたい北の海をのがれて、あたたかい湖へおしよせてきたのである。八郎は湖のそこにからだをしずめて、さかなのむれをたのしそうにながめた。こうして八郎は八郎潟の主となったのである。

ところが八郎潟は冬になると、いちめんにこおりがはりつめてしまう。それで八郎は、冬でもこおらない湖をさがそうとおもった。そこで目をつけたのが、男鹿(おが)半島の北浦(きたうら)町にある一ノ目潟(いちのめがた)である。しかし一ノ目潟の女神は、「冬のあいだだけでも、いっしょにくらそう。」という、八郎のもうしこみをうけつけなかった。  

そのうち八郎は、東のほうにある、田沢湖
(たざわこ)の主である辰子姫(たつこひめ)も、人間のむすめが竜になったのだ、という話をきいた。辰子(たつこ)は神代(じんだい)村の神成沢(かんなりざわ=いまの仙北郡田沢湖町)にすむ美しいむすめだったが、じぶんの美しさを永遠にたもちたいと願をかけ、観音(かんのん)さまのおつげによりヘビとなって、田沢湖にすみつくことになったのだった。八郎はおもいきって冬のはじめに田沢湖をたずねた。すると辰子姫はこころよく八郎をむかえてくれた。

それいらい八郎は、冬のあいだは田沢湖で辰子姫とくらし、春になると八郎潟へかえるようになったといわれる。八郎が田沢湖へくるのはまい年十一月九日の晩といわれ、いまでも田沢湖町では、八郎が田沢湖へはいる音がきこえないように、この晩になると辰子姫をまつった神明堂
(しんめいどう)で、にぎやかに宴会をおこなうならわしがのこっている。  

県別ふるさとの民話 29 「秋田県の民話」日本児童文学者協会編 偕成社 

1981年11月初版                                  


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